一日を生き切るということ
その男性は、朝の駅のベンチに腰を下ろし、流れゆく人波をぼんやりと眺めていた。
仕事は忙しく、成果は思うように出ない。家庭では弱音を吐けず、夜になると「今日もダメだったな」と心の中でつぶやく日々。
人生とは、なぜこんなにも重たいのだろう。そんな問いを、何度も自分に投げかけていた。
「一日だけならできる」という発想
ある日、書店でふと手に取った一冊の本。
ページを開いた瞬間、彼の視線はある一節に釘付けになった。
誰でも、一日だけなら、かんしゃくを起こさず言葉づかいにも気をつけていられる。
「日々を生きる技術 実務教育出版より引用」
誰でも、一日だけなら、歯を食いしばって自らの重荷に耐えられる。
誰でも、一日だけなら、幸福になろう、周りに幸福の輪を広げようと努力できる。
誰でも、一日だけなら、恐怖を克服して立ち上がり、勇気もって一つ一つの状況に対処できる。
誰でも、一日だけなら、親切で思慮深く、思いやりを持つことができる。
「一日だけなら……」
その言葉が、彼の胸の奥で静かに反響した。
人は「一生」と聞くと、無意識に身構えてしまう。ずっと耐えなければならない、ずっと頑張らなければならないと。
一日は一生涯の縮図である
彼は、野球好きだった父の言葉を思い出した。
優秀な打者でも、10回のうち3回しか塁に出られない。
残りの7回は失敗だ。それでも打席に立ち続ける。
今日できなくてもいい。
失敗してもいい。
また明日、バットを握ればいい。
ふと、こんな言葉が心に浮かんだ。
良き人生は日々の丹精にある
松原泰道
人生は「劇的な変化」ではなく「小さな実践」でできている
人生を一気に変えようとしなくていい。
立派な理想を掲げなくてもいい。
ただ、今日という一日を、少し丁寧に生きる。
翌朝、彼はいつもより少し早く起きた。
通勤途中、コンビニの店員に「ありがとう」と声をかけた。
仕事で失敗しても、投げやりにならず、もう一度やり直した。
それだけの一日だった。
けれど、その一日は、確かに昨日とは違っていた。
今日一日をどう生きるかが、人生を形づくる
人生を支えるのは、特別な才能でも、派手な成功でもない。
「今日一日をどう生きるか」という、静かな選択の積み重ねである。
もし、今が苦しいなら。
もし、先が見えないなら。
どうか思い出してほしい。
誰でも、一日だけなら、生き方を選び直すことができる。
その一日が、やがて一生を形づくっていくのだから。
